リオ五輪 ~アスリート紹介 1~
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さて、大会も終盤に入りましたリオ五輪。
日本では一夜明け、日本代表のメダル獲得のニュースが入ってきました。
現在までのメダル獲得数を確認してみましょう。
1 位 米国 金28 銀28 銅28 計 84
2 位 英国 金19 銀19 銅12 計 50
3 位 中国 金17 銀15 銅19 計 51
4 位 ロシア 金12 銀12 銅14 計 38
5 位 ドイツ 金11 銀 8 銅 7 計 26
6 位 イタリア 金 8 銀 9 銅 6 計 23
7 位 オランダ 金 8 銀 3 銅 3 計 14
8 位 フランス 金 7 銀11 銅11 計 29
9 位 豪州 金 7 銀 8 銅 9 計 24
10 位 日本 金 7 銀 4 銅18 計 29
㊟上記は、現地時間8月17日、午前2時の時点でのデータになります。
《日本人メダリスト》 ※現地時間8/17午前2時現在
銅メダル 8/16(火) 乾友紀子 選手 三井梨紗子 選手
【水泳】シンクロナイズドスイミングデュエット 188.0547点
※なお、これ以前に獲得しました日本のメダリストとその記録につきましては、先の記事をご参照ください。
ところで、メダル獲得ではない部分ですが、とても興味深いニュースがありました。
体操競技は、本日の未明(8月17日)に全種目を終了しました。
その中で、“技に自身の名前”を持つアスリートがいます。
種目別跳馬で、銅メダルを獲得した白井選手もその1人です。
自身の名前が技につく・・・誰もができることではありません。
このたびの五輪大会に出場した中に、
自身の名前の技があり、史上最多7度目の出場を果たしたアスリートがいます。
そのアスリートの名前は、
オクサナ・チュソビチナ 選手(ウズベキスタン)。
女子種目別床運動決勝、女子床運動でも日本の村上茉愛 選手もH難度技である「チュソビチナ」を
演技に組み込んできました。(*村上選手は果敢に挑んだものの、惜しくも7位でした)
さて、チュソビチナ選手ですが、その生年月日は、1975年6月19日・・・。
年齢は、なんと 41歳!
出典:THE HUFFINGTON POST
年齢と五輪出場数もさることながら、
チュソビチナ選手のこれまでの人生は波乱にも満ちたものでした。
あまりにも多い、これまでの競技人生を少し振り返りますと、
15歳で、旧ソ連の初代表になるところまでさかのぼります。
代表入り後の翌年、1991年に旧ソ連は崩壊。
その後は、(旧ソ連の)合同チームのメンバーとして1992年のバルセロナ五輪に出場し、
団体で金メダルを獲得。
そして、母国ウズベキスタンの独立とともに、ユニホームは替わることになります。
私生活では、1997年に同郷のレスリング選手の方と結婚されますが、
翌年にアキレス腱を断裂し、選手生命の危機に直面。
さらにその翌年、長男が誕生します。
ところが2002年、息子さんが白血病と診断されて、多額の治療費を工面できず路頭に迷います。
その時、ドイツ・ケルンの体操クラブから
「治療費捻出の基金を設けるキャンペーンを行うから」
との声がかかり、ドイツに渡ります。
チュソビチナ選手も跳馬に出場を絞って競技生活を続け、スポンサーを探します。
なぜなら、ご夫妻は国際的な実績があったため政府から年金が支給されていたものの、
息子さんのドイツでの治療費が足らなかったためです。
そのような中、2003年アナハイムで行われた世界選手権では金メダルを獲得。
翌年2004年のアテネ五輪では、予選の一本目で転倒し、
予選敗退という、不本意な結果に終わってしまいます。
2006年に、ドイツ国籍を取得。
2008年、自身5度目(*ドイツ代表として初のオリンピック)の北京五輪では、
個人総合で9位と健闘。そして跳馬では銀メダルを獲得します。
しかし、2009年に再びアキレス腱を断裂。
さらに肩を痛めたため、しばらく大会から遠ざかることになってしまいます。
しかしその後、2011年東京で行われた世界選手権で、再び跳馬で銀メダルを手にします。
前回のロンドンオリンピックでは、女子体操選手として初めて6度目の五輪に出場。
跳馬種目別で、5位に入賞。
そして今回、リオデジャネイロには再びウズベキスタンの代表として出場。
これにも背景があります・・・。
2013年に、チュソビチナ選手は、ウズベキスタンの体操協会から復帰を請われます。
これに対し、ドイツ体操連盟は彼女の偉業をたたえ、
“ドイツ国籍を保有したまま”ウズベキスタン代表として競技会に出場することを
『特例』として認めたのです。
現在ケルン郊外の練習場では、10歳以下の子どもたちに交じり1児のお母さんアスリートとして、練習を重ねているそうですが、その光景を奇異に感じる人は、誰もいなくなったそうです。
今回のリオ五輪・・・8月7日の体操女子予選。
北京五輪(当時ドイツ代表)で銀メダルを獲得した跳馬で『14・999』をマーク。
記者の質問には
「年齢なんて何の意味もない。条件はみんな一緒」
と通算7度目の五輪でも見事な演技を魅せ、5位の成績で種目別の決勝に駒を進めました。
種目別跳馬の決勝では、
1回目に最高難度の「プロドノワ」(前転跳び前方抱え込み2回宙返り)に挑びました。
惜しくも着地で勢い余って前転し、7位に終わりましたが、そのチャレンジは見事なものでした。
映像はこのたびの五輪のものではありませんが、跳馬女子の最高難度ブロドノワという技です。
☟
「体操があったから」
そして
「それを諦めずに真摯に追及し続けてきたから」
きっと今のチュソビチナ選手があります。
もし、彼女がここまで体操を続けていなければ・・・
息子さんを含めた家族は違う運命と向き合ったかもしません。
五輪が教えてくれるもの(素晴らしさ)は、やはりメダルだけではありません。